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不確かなこと

水灯利と縦について

雪舟えま氏の『幸せになりやがれ』が死ぬほど好きだ。

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この本に出会って、登場人物に出会って、

どれだけ私の人生は豊かになっただろう。

 

舞台になっている小樽に週末行く。

小説はもちろん読み返した。

あの本はどの時間帯に読んでもだめ。

一人で読まなきゃいけない。泣くのでね。

 

どんな景色が待っているのだろう。

きっとそこには水灯利と縦がいる。

今回は恋人と行く。だけどいつか、

私が縦だと思っているあの子と、

水灯利だと思っている自分と、

ふたりで行こう。

 

私たちは生まれ変わってどんな形になっても出会うんだ。新しい世界で。

人の心を動かすもの

 

恋人から「喜怒哀楽、表情が豊か、感受性が豊か」と言われた夜、自分について少し考えた。今の私がこれに当てはまっている気がしなかったから。

 

仕事で久しぶりに都会に出て、美術館を三つ梯した。

1つは蜷川実花展、2つ目はキスリング展、3つ目は三岸好太郎美術館。名前を聞けばどこの都市かすぐに見当がつく。そしてわかる。こんなにも異なる展示を同時に見られるなんて、やはり文化の中心地は都会なのだ。

それぞれの展覧会にそれぞれ良さがあった。それを語る前に、今回の一番の収穫は人間が生きていう上で、アートは必要不可欠なものだということ。純粋に、芸術文化に触れることの喜びを感じた。嬉しかった。

コロナで自粛、移動が制限されていたここ数ヶ月。自分の中にあった喜怒哀楽が薄くなっていた気がした。日常的に楽しみはあった。恋人と過ごせる時間が増えて、その楽しさを知った。ただ、悲しみもなければ充実していると実感できるほどの喜びも少なかった。仕事も停滞し、自分のやりたい事にも気が乗らず、自分の心は死んだと思っていた。

久しぶりに訪れた美術館は、そんな私に色んなことを考えさせる時間と気持ちを与えてくれた。写真展を見て、写真をよく撮っていた頃の気持ちが蘇った。気づけば次の日、心の赴くままに写真を撮っていた。絵画展を見て油彩のかっこよさ、"本物"が持つエネルギーを改めて知った。自分も描いてみたい、家に大きな絵を飾りたい、そんな欲望を掻き立てた。

とにかく、私の心は大きく動かされた。帰路について「あー、これが人生だな」と思った。自分の中にあるあらゆる感情は死んではいなかったし、逆にこれらがなければ、自分の人生に豊かさは生まれないのだ。

これは芸術に限らず、本を読むでも旅に出るでも、美味しいものを食べるでも。それが血となり肉となり…というのは本当だと思う。そして、これらを作ってくれているのはどうも自分以外の職業の人。コロナの影響、もとい政府の影響で衰退を余儀なくされることがあってはならない。

自分以外の人が与えてくれるこの世界は、逆説的に自分が存在する理由にもなる。私が今している仕事が、誰かに感動や何かを考えるきっかけ、時間を与えられたとしたら。それはやるべきだろうしやりたい。

「何かをしたい」と思えるそのエネルギーは何事においても素晴らしいと思う。結局、いつものように「よかったね、わたし」というのが落ちなのだけど、本当に嬉しかったのでこの想いは記録した方がいいし、これからも大事にしなさいと肝に銘じて。

2020.6.24.Wed

昔のことだと知っておきながら、

人はなぜ過去に執着してしまうのだろう。

私と出会う前のあの人は、どういう生活を送っていたのだろう。何を考えて、人を好きになって。私のどこが好きなのだろう。

口に出すことはなくても、気になることはたくさんある。それは、出会えたこと以上にこれまでの歳月の、少しでも多くの時間を共に過ごせなかったことを、私自身が悔いているからに違いない。

今出会えただけでも幸せなことなのに。人は欲張りだ。

 

「過ぎた事 選ばんかった道 みな覚めた夢と変わりやせんな」

 

こう物思いにふける夜は、『この世界の片隅に』の台詞を思い出し、この出会いが私と彼にとって最良の選択であればいいと願って眠る。