佐綾とマヤ
うっすらと目を開くと全身が眩い光に包まれているのがわかる。同時に頬を撫でるやわらかい風。4月下旬。ようやくここ、北国にまで春がやってきた。ベッドに仰向けの状態から窓の外を眺める。晴天。すがすがしい気持ちにさせる青空と、久しく見ていなかった立体的な白い雲が心を躍らせる。意識がはっきりしてきたところに、隣の部屋からドタバタとこっちに向かってくる足音が聞こえてきた。
「あ。佐綾起きた?」
扉の間からひょっこり顔を覗かせる。栗色の、肩に少しつくくらいの髪がふんわり揺れる。恋人のマヤ。高校時代に結ばれて、卒業と同時に同棲を始めた。マヤとこの地で春を迎えるのは2年目になる。
いつもなら私が先に起きるのに、GW前に仕事をすべて片付けようと少し無理をしたのか疲れが残っていたようだ。先に目覚めたマヤはすっかり身支度も整えている。白のブラウスに白のフレアスカート。羽織っているクリーム色のカーディガンが映えてなんとも春らしい。
「もうお昼になっちゃうよ~」
「そんなに寝てたか・・・ごめん」
「いいよ。佐綾つかれてそうだったし」
ベッドに軽く腰をかけてこちらを見る。しばらく見つめあう私たちの間に、爽やかな風が吹く。日の光は頬の産毛を輝かせる。今日もかわいいかわいい、私のマヤ。近づいてキスをすれば嬉しそうに首をかしげるのだった。
毎日しているキスがこんなにも新鮮なことがあるのだろうか。
「GWはじまるね!」
「ああ、やっとだ。もう昼になるけど・・・これからしたいことある?」
身支度を整えながらマヤに聞く。
「んー、天気もいいし、近くの公園でピクニックは?」
「いいね。冷蔵庫にそれっぽい材料あったっけ」
「ないかなぁ・・・。イオン行く?」
「そうしよう」
歩いて10分もしないところにイオンがある。買い物は大体ここで済むのでとても便利だ。最近は知らない間にマヤが電子マネーを導入したようで、率先して会計をしたがる。表情を見ている限り「ワオン!」の音が鳴るのが楽しいようだ。
まず向かったのはパン屋。美味しい食パンがいいと、お店一押しの「もちもちふわりんパン」を買う。フランスパンも欲しいとマヤにねだられ、それも買う。ピクニック定番のサンドウィッチは中身も大切。卵サンドとベーコンレタスに、ジャムパン。この3つは確実に作る。食材が美味しければより美味しくなるのがサンドウィッチ。マヤはそのあたり妥協しない。食べるものにはこだわる。私はその辺何でもいいと思うたちだから、基本的に食卓にはマヤが食べたいものが並ぶ。それでいいと思う。
「スーパーに二人で行くのって、一緒に住んでる感あるよね」
レジに並んでいるとき、隣でぼそっとつぶやく。住んでる感もなにも、住んでるでしょと言うと「そっか!」と笑う。もう何年同棲しているの?と問いたくなるけど、今朝のキスのことを思い出して、ああ、と納得する。私が毎日この関係を新鮮に感じているように、マヤもそう感じるのだと。少し嬉しくなって笑みがこぼれる。その時を見逃さなかったマヤが驚いた目をしてまた笑う。
行った先の公園は桜の開花を待ちわびていた人でにぎわっていた。
「桜、きれいだね」
「マヤさ、今日の予定、はじめから決めていたんでしょ?楽しみにしてくれていたんだよね。もっと早く起きればよかった」
「ううん!いいの。佐綾は逃げないから・・・」
作ったサンドウィッチが入ったかごを左手に、右手はマヤの左手と繋ぐ。私たちが手をつないで歩く様子に、すれ違うたびに視線を向けられる。会社の知り合いにも何人かあった。でもそんなことは二人にはどうでもいいことだった。
「佐綾みて。桜、ほんときれいだよ」
「見てる見てる。きれいね」
「来年もまた見ようね」
「再来年も、ずっとね」
繋いだ手に力が入る。私たちがこの手を離すことはない。
「さ、そろそろ食べよっか」
3.11
一年前、仕事で福島に行った。
震災から8年と報道されていたあの日あの年。
1年はあっという間に過ぎて、10年目もせわしなくこんな風に一瞬なんだろうか。
一瞬に感じられるのは、ずるいことかもしれない。
ずるいことだと、思ってしまう。
(2019年3月19日撮影)
本当の"家族"とはー朝ドラ「なつぞら」から考える
ツイッターではたまに書いてることのまとめ。あくまでも一視点です。
あらすじ:北海道・十勝の酪農家の家に住むことになった戦争孤児のなつが漫画映画に出会い、アニメーターを目指す物語
https://www.nhk.or.jp/natsuzora/
住んでいる地域だからという贔屓も一定程度はあるとしてもいい作品。
個人的にいいなと思ったところの一部をあげるなら、
①精神的な繋がりの尊さ(男女間でもできる、あり得ることの証明)
②女性の悩み
③本当の"家族"とは(家族の多様なあり方)
だろうか。
朝ドラの前に放送してる「おしん」のような波乱万丈な展開はないけれど、私はそれに救われた。
坂場一久(中川大志)が何度も言っているように、脚本の大森さんが描きたいのは「何気ない日常」であり、「何かオーバーに描くことがすべてではない」こと。「なつは(おしんのような)苦労せず、とんとん進むよね」と語った日もあったけども…。アニメーションに限らず、小説でも、何か起きなきゃ面白くないなんてことはなく、人は日常の些細な変化を想像以上に感じとっている。
大森さんのすごさは感情の振り幅を、完全に視聴者に委ねてるところだと思う。感じ方は人それぞれだとしても、個人的に朝の15分をかなり楽に見られている。泣きたいときに泣けばいい、笑いたいときは笑えばいい。ドラマの一展開としてはめ込まれたピースではなく、ごく自然な感情でこのドラマを受け入れられている。
恋愛色が強くないところもこの作品を好きになった理由もしれない。みんな結婚してほとんどの人に子どももいたりするけど、深いところは精神論で紡がれているから。
山田天陽(吉沢亮)と奥原なつ(広瀬すず)がグッと手を握るシーンは本当に泣いた。東京へ旅立つなつに「どこにいたってオレとなっちゃんは何もない、広いキャンバスの中でつながっていられる。頑張れ。頑張ってこい、なっちゃん」とエールを送る天陽。二人は結ばれず、天陽は最後なつと会えることなくこの世を去ることになる。二人は「絵を描くこと」で繋がり、「絵を描くこと」を選択して離れてしまう。ただ、精神的な深いところで静かに燃えるように繋がっている。
娘の優が生まれた後は「保育園落ちた」「母親としてのあり方」「仕事と家庭の両立」など、女性の悩みに向き合ってきた。そこに坂場が"主夫"をかって出たのが救いだったし、彼はなつのことを「奥原は、」と呼ぶのがいい。同業で職場も同じだからより思うけど、妻とか嫁の括りではなく、奥原なつの意思を一番尊重している人だ。
最後に家族について。
「家族であるかは本当の家族かどうかではなく、それを望む意思があるかどうかなんだ」
このドラマは、なつが戦争孤児として柴田家に迎えられたときから、家族というのが「血の繋がりだけではない」ことを物語ってきた。逆に血の繋がり(夕見子、照男との比較)や、後継に生まれたことの宿命(雪次郎)なども考えさせられる。
そしてなつだけではなく、兄の咲太郎もまた東京で家族を見つけた。9月11日の放送では泰樹さんも実は養子に貰われた苦労話も出てきた。
家族を血で決める考え方なんて、昔からの誇りのように語られることもあるけど、戦争という環境の中であるはずはなく、それはただの神話にすぎない。
ありとあらゆる多様性。「なつぞら」は令和の新たな時代に、多様性を描いた朝ドラ第1作目となっただろう。ドラマの中では、伝えることのツールとしてアニメーションが生かされている。だから坂場(=大森さん)は届けたいことがきちんと視聴者の心にふれるよう「本物」にこだわるのだと思う。その世界観を描いてる「なつぞら」は朝ドラを通して、私たち視聴者に訴えかけている。
なつぞらに写っていることが当たり前の世の中になればいい。その期待もこめて、このドラマを見つめている。