本当の"家族"とはー朝ドラ「なつぞら」から考える
ツイッターではたまに書いてることのまとめ。あくまでも一視点です。
あらすじ:北海道・十勝の酪農家の家に住むことになった戦争孤児のなつが漫画映画に出会い、アニメーターを目指す物語
https://www.nhk.or.jp/natsuzora/
住んでいる地域だからという贔屓も一定程度はあるとしてもいい作品。
個人的にいいなと思ったところの一部をあげるなら、
①精神的な繋がりの尊さ(男女間でもできる、あり得ることの証明)
②女性の悩み
③本当の"家族"とは(家族の多様なあり方)
だろうか。
朝ドラの前に放送してる「おしん」のような波乱万丈な展開はないけれど、私はそれに救われた。
坂場一久(中川大志)が何度も言っているように、脚本の大森さんが描きたいのは「何気ない日常」であり、「何かオーバーに描くことがすべてではない」こと。「なつは(おしんのような)苦労せず、とんとん進むよね」と語った日もあったけども…。アニメーションに限らず、小説でも、何か起きなきゃ面白くないなんてことはなく、人は日常の些細な変化を想像以上に感じとっている。
大森さんのすごさは感情の振り幅を、完全に視聴者に委ねてるところだと思う。感じ方は人それぞれだとしても、個人的に朝の15分をかなり楽に見られている。泣きたいときに泣けばいい、笑いたいときは笑えばいい。ドラマの一展開としてはめ込まれたピースではなく、ごく自然な感情でこのドラマを受け入れられている。
恋愛色が強くないところもこの作品を好きになった理由もしれない。みんな結婚してほとんどの人に子どももいたりするけど、深いところは精神論で紡がれているから。
山田天陽(吉沢亮)と奥原なつ(広瀬すず)がグッと手を握るシーンは本当に泣いた。東京へ旅立つなつに「どこにいたってオレとなっちゃんは何もない、広いキャンバスの中でつながっていられる。頑張れ。頑張ってこい、なっちゃん」とエールを送る天陽。二人は結ばれず、天陽は最後なつと会えることなくこの世を去ることになる。二人は「絵を描くこと」で繋がり、「絵を描くこと」を選択して離れてしまう。ただ、精神的な深いところで静かに燃えるように繋がっている。
娘の優が生まれた後は「保育園落ちた」「母親としてのあり方」「仕事と家庭の両立」など、女性の悩みに向き合ってきた。そこに坂場が"主夫"をかって出たのが救いだったし、彼はなつのことを「奥原は、」と呼ぶのがいい。同業で職場も同じだからより思うけど、妻とか嫁の括りではなく、奥原なつの意思を一番尊重している人だ。
最後に家族について。
「家族であるかは本当の家族かどうかではなく、それを望む意思があるかどうかなんだ」
このドラマは、なつが戦争孤児として柴田家に迎えられたときから、家族というのが「血の繋がりだけではない」ことを物語ってきた。逆に血の繋がり(夕見子、照男との比較)や、後継に生まれたことの宿命(雪次郎)なども考えさせられる。
そしてなつだけではなく、兄の咲太郎もまた東京で家族を見つけた。9月11日の放送では泰樹さんも実は養子に貰われた苦労話も出てきた。
家族を血で決める考え方なんて、昔からの誇りのように語られることもあるけど、戦争という環境の中であるはずはなく、それはただの神話にすぎない。
ありとあらゆる多様性。「なつぞら」は令和の新たな時代に、多様性を描いた朝ドラ第1作目となっただろう。ドラマの中では、伝えることのツールとしてアニメーションが生かされている。だから坂場(=大森さん)は届けたいことがきちんと視聴者の心にふれるよう「本物」にこだわるのだと思う。その世界観を描いてる「なつぞら」は朝ドラを通して、私たち視聴者に訴えかけている。
なつぞらに写っていることが当たり前の世の中になればいい。その期待もこめて、このドラマを見つめている。