kiroku

不確かなこと

何でもないことのすてきなこと。

仕事を早めに切り上げて恋人と夜ご飯を食べに行く。恋人の家からすぐ近くのイタリアンで、家もお店も近いから、車はお店に停めるのが一番効率がいいけど、でも恋人の駐車場にする。家の下で待ち合わせる。

数日前にも会ってるけど、少し経つと緊張する。あいさつはだいたい「わー。」と小さな声で肩にぐーぱん。弱々しいぐーぱんを受けた恋人は案の定「お店に停めたらよかったのに」と言うが、「いいの。これは大事なことだから」と答える。

好きな人と同じくらいの歩幅で歩くのが好き。どちらからともなく、ぽつりぽつりと言葉が紡がれていく。会話に集中できる。景色を楽しめる。一番は流れている時間を感じられる。車の移動は注意することがたくさんあるから、どこか忙しないというか気が急いてしまう。

歩くことの良さは自分だけに作用しない。

「あ、今日悲しいことがありました。話していい?」と、めずらしく恋人から話を振ってくる。

帰ってきたら駐輪場の電気が切れて暗くて困った。明日、管理会社に電話して直してもらおうと思う。子どもたちも使うから危険だし。…まあ、自分が困るからだけなんだけどさ。

という、なんてことのない、日常の一幕。些細なこと過ぎて霞みそうな出来事。でも、恋人の口から出なければどう頑張っても知り得ないひとピース。こうやって、小さなピースを積み重ねていくことが、恋人の存在を立体化させ生活に奥行きを出し、幸せを形づくっていくのではないか。

今日のような目と鼻の先の短い距離でも、一緒に歩いて目的地に向かうというコミュニケーションをとる。対話。それらを「大事なこと」としかまとめられなくても、「大事なことなのね」と恋人が受け止めてくれたように反復したことは忘れない。

駐輪場事件の後は、何故か飛躍して舞城王太郎の「淵の王」について語る。真っ暗から、黒い穴の存在に結びついたらしい。それくらいで店についた。短い時間。でもそんな些細なことを求めていた。何でもないことの素敵なことを、噛み締めたかったのだ。