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kiroku

冬の陽の短さ

卒業、その後

 

マヤ、佐綾、千草の卒業式後を友人が書いてくれました。

こちら↓

それから - 無響サイレン

 

わたしの手を離れて描かれる彼女たちが愛おしいーー…

ちらし寿司いいね。

科子、有子、幸さんの話も合わせてお読みください

 

続編もどんどん書いていきたい気持ちが溢れてきたので、これからもたくさん登場するかもです。

 

 

卒業

 

 今日は高校の卒業式。この日くらい晴れてくれればいいものの、わたしの高校は何故かいつも雨だ。今年も雨だった。式が始まる前の教室では既に涙ぐむ生徒もいて、みんな3年間通ったこの学校との別れに想いを馳せていた。わたしもその中の一人になるんだと思っていたが、予想以上に未来が楽しみになってしまい、一ミリも涙が出ない。というのも数時間前。夢のような出来事があって、本当に夢なんじゃないかと何度も自分の手の甲をつねってみたが、そのひとに「夢じゃないよ」と言われてしまった。
 わたしの目の前にいる少女はわたしが同じ質問をしていることに飽きたのか、恥ずかしいのか、うつむきながらつま先で土をいじっている。雨でぐずぐずになった土が彼女の上履きの白を汚していく。何回も聞いてごめんという気持ちはありつつも、何回でも聞きたい自分がいてやっぱり聞いてしまう。

 

「本当に、付き合ってくれるの…?」
「うん」
「佐綾のこと、3年間ずっと好きだった」
「うん」
「佐綾とこれからも一緒にいたいと思った」
「うん」
「佐綾とおいしいもの、食べたい」
「わたしも、そう思ったから応えてるんだ」

 

 卒業式前に、なんで二人して濡れているんだろう。

 

 吹奏楽部の伴奏に合わせて仰げば尊しを全員で歌う。

 指揮台に立って指揮をしているのは佐綾だ。長い髪を一つに縛って、雨をすった制服が肌にはりついている。佐綾は校内の合唱コンクールで毎年指揮者をしていたから今回も指揮に選ばれた。指揮をする理由は自分の声が好きではないかららしい。わたしは佐綾の声も、自分の声が好きじゃないという佐綾も好きだ。

「マヤ、泣いてんじゃん」

「うん。なんか泣けてきた」
「わたしさ、女子校でよかったなーって思うよ。こうやって歌う時なんて特にさ」
「千草と同じクラスになれて良かった」
「…お前はいつも急だな」

 体育館から出ると後輩たちが一輪ずつ花をくれた。部活動をしていた子たちの周りには素早く後輩が集まってきていて、後輩は泣いていた。なんてかわいいんだろうと見ていたら、遠くに先に外に出た佐綾の姿が見えた。手には花と指揮棒が握られている。わたしたちは最後の教室に向かって歩く。

「佐綾かっこよかったよ」
「そう思うのはマヤだけだよ」
「だったらいいな。ライバル減るし」
「ライバルもなにも、いないよ。今日マヤと約束したから」
「佐綾……やばい、めっちゃ好き。キスしていい?」
「そういうことは家でしてくれ」
「千草いたの?」
「ずっといたよ。マヤは浮かれすぎだ」
「3年間見てきたがマヤのこういうところは多分一生治らない」
「千草聞いた?3年間ずっと見ててくれたみたい!」
「わたしは2人が恋人じゃなかったことに驚きだったよ」
「付き合わなくても、このままずっといれると思ったからな」
「佐綾のそういうところ好きなんだよね」
「わたしもそんなお前たちが好きだよ」

 

 教室に着いたわたしたちは担任の先生話を聞き、最後の最後にまた歌を歌い、この学校で3年という月日を共に過ごしたことを思い返した。もう会うことはない人たちもいる。また会うことになるだろう人たちもいる。
 わたしはクラスメイトと一人ずつ握手したい感情になったから、握手をした。手を握るというのはハグをするより愛おしい。そんなことを言ったら千草に笑われた。

「ごめん、お待たせー」
「マヤ遅いよー。校門で記念撮影するんだろう?」
「千草はなんだかんだいつも待ってくれる」
「だと思ってた!」
「…ほら、早く行かないと場所がなくなるぞ」

 

 待って、と足早に教室を出て行こうとする千草の制服の袖を掴む。振り向いた千草は一瞬驚いた顔をして、その後少し笑いながらすっと手を差し伸べてくれた。右手をわたし、左手を佐綾に。三人は円になるように手を繋いだ。
 今日この日まで一緒に過ごしてくれた人たちへ。また三人で円になれる日が来ることを祈って。

 

「マヤ、佐綾、卒業おめでとう」
「千草もおめでとう」
「みんな、卒業おめでとう」

 

 

 

 

去年最後の記録

 2016年12月29日

 

実家に帰省したわたしは吉祥寺にむかう。用事ひとつめは雪舟えまのサイン本を買いに。ふたつめは百年に行くこと。

行くとき、中野駅を過ぎると乗客の雰囲気が一気に変わる。車内にあたたかい空気が漂い出す。昼間だったから日差しが入ってあたたかいとか、冬だから暖房が入っててあたたかいとか、そういうこともあるけどそうじゃなくて。

向かいに立つおじいちゃんが子どもに話しかける。子どものお母さんはおじいちゃんに座ってくださいって何度も促すけど、おじいちゃんは何回も遠慮する。おばあちゃんの膝に座り抱かれる子どもは何が起こってるのかわからない顔をしている。おじいちゃんは子どもに話しかける。なんだか楽しそうだなと思う。その場所はみんな自然に子どもを愛せるようだった。

 

吉祥寺のパルコは生きている。次々となくなってしまうパルコ。わたしの地元のパルコもついに亡くなってしまった。その生まれ代りのように、地元のサグラダファミリアと呼ばれていた駅の工事が終わり、新しくなった。

書店は地下にあった。雪舟えまサイン本、『凍土二人行黒スープ付き』を二冊購入。あとで池袋のジュンク堂に行ったらカバーがかかってなくて、好きなイラスト選べたかもしれないけど、吉祥寺の書店ではカバーがかかっていたから、おみくじみたいな感覚があった。それでも残り二冊だったからもう手に取るのはこの二冊だけだったけども。

百年はわたしが前から行っている古本屋で、久しぶりに行ったら漫画のコーナーがなくなっていて少し残念だった。しかし、相変わらずいい古本屋だと思う。欲しかった本も手に入った。

 

陽は暮れて、夜が漂い始めた帰りにいつもの喫茶店に入る。わたしはこの喫茶店でビスコッティの食べ方を知った。コーヒーに浸して食べると食べやすい。今回も頼もうか迷ったけどお腹がすいてたからトーストにした。トーストも美味しい。

目の前が大きな交差点で、人々が行き交う様子を中から見る。向こうからも店内が見えているはずなのに、意外と人と目が合わない。その中で一人だけ、子どもが店内を凝視していた。その子はすごく注意深く私を見ていた。なんだか私は霊になったみたいで、初めて人間に存在を知ってもらったような、そんな気持ちになった。《今、私のことを見えているのはあなただけ、みつけてくれてありがとう》

その子は誰の子なのか、周りを見ても親らしき人が見つからなかった。交差点の信号が青になった時、その子はすっと向こう側へいなくなった。しばらくぼーっとして、私が霊だったんじゃなくて、もしかしてその子が霊だったのではと。

行き交う人は互いのことを全く気にしていないようで、見えていないと同じようだった。喫茶店内にいる私には見える。目の前にある大きな窓ガラスは人間と霊の境界線のように思えた。ガラス一枚でこんなにも隔たれる世界。東京は霊の国なのかもしれないと思った。ボルタンスキー先生曰く少ないらしいけど。

この喫茶店はいろんなものが見える。

 

雪の日の記憶を共有する

 

 

「雪ふってるの、初めてみたんです。しんしんと、静かにふるんです。」

 

「雪は音をすうから。雪の日の夜はいつも以上に静かだよ。わたしはそんな日は決まってソファーに寝転んで、降り続く雪を眺めるの。うちは窓が大きいから、よく見える。外は本当に真っ暗で、寒そうで、でも家の中は暖かいからずっとこうしてられる。そんな時間を過ごすのが好きだった。」

 

「やわらかくて、手にのった瞬間に消えてしまった。」

 

「東京の雪とはちがうでしょう。」

 

「はい」

 

「また見よう。遠い地に思いを馳せて、かけあしで向かって。今度はわたしの家においで。ソファーは二人くらいは余裕だから。」

 

 

 

近所の公民館

 

この日は天気が悪くて、でもぎりぎり雨は降っていなくて、湿気と、その匂いだけがあたりに充満していた。「空間みんなの風景」の製本は公民館の長机で作業された。

作業していて、どこか懐かしい感じがするなって思った。でもこの懐かしさはあまり喜ばしい懐かしさではなく、むしろだんだんお腹がいたくなるような、そんな感じだった。

周りにはテスト前なのかまじめに勉強している学生がたくさんいた。わたしの大学の近くの公民館は勉強するスペースが広くある。他の公民館がどんなかはわからないけど。

 

お腹がいたくなった原因は、子ども独特の匂いと学校の匂いから昔を思い出したからだった。わたしは図工の時間のことを思い出していた。静かにみんなで絵を描く作業をしなくてはいけない時間。別に静かなのが嫌いなのではなくて、学校という圧と匂いがそこから感じられたからだった。とても窮屈だったし、つまらなかった。

小・中学校は割と学校が嫌いだったという思い出しかない。人も嫌いだったし、勉強も嫌いだった。授業は真面目に聞いていたけど、昔はそうすることが良いと思ってたからしていた。今のような性格になったのは自己防衛本能がこの時期に格段上がったからで、生きよう生きようと試行錯誤していたわたしは、逆に自分を守らなければ死んでしまいそうなぎりぎりなところにいたんだなって思うと、たまに昔の自分に「おまえはおまえのままで大丈夫だよ」とか声かけてあげたくなる。

「長く生きてるといいこともあるよ。」って、知り合いから聞いた言葉が好きだなーって思って、事実、悲しいことはあっても、今のところ生きてきてよかったと思えることはたくさんあった。芸大に入ってよかったって思ったことは、自分と同じような人たちの集まりだったことで。大人になったら同じ考えの人に出会えるかもしれないし、自分を支えてくれる本も見つかるかもしれないし、昔は何も思わなかったけど、生きるってそういう一瞬に出会うためなのか、とか今は思ったりする。