kiroku

不確かなこと

人の心を動かすもの

 

恋人から「喜怒哀楽、表情が豊か、感受性が豊か」と言われた夜、自分について少し考えた。今の私がこれに当てはまっている気がしなかったから。

 

仕事で久しぶりに都会に出て、美術館を三つ梯した。

1つは蜷川実花展、2つ目はキスリング展、3つ目は三岸好太郎美術館。名前を聞けばどこの都市かすぐに見当がつく。そしてわかる。こんなにも異なる展示を同時に見られるなんて、やはり文化の中心地は都会なのだ。

それぞれの展覧会にそれぞれ良さがあった。それを語る前に、今回の一番の収穫は人間が生きていう上で、アートは必要不可欠なものだということ。純粋に、芸術文化に触れることの喜びを感じた。嬉しかった。

コロナで自粛、移動が制限されていたここ数ヶ月。自分の中にあった喜怒哀楽が薄くなっていた気がした。日常的に楽しみはあった。恋人と過ごせる時間が増えて、その楽しさを知った。ただ、悲しみもなければ充実していると実感できるほどの喜びも少なかった。仕事も停滞し、自分のやりたい事にも気が乗らず、自分の心は死んだと思っていた。

久しぶりに訪れた美術館は、そんな私に色んなことを考えさせる時間と気持ちを与えてくれた。写真展を見て、写真をよく撮っていた頃の気持ちが蘇った。気づけば次の日、心の赴くままに写真を撮っていた。絵画展を見て油彩のかっこよさ、"本物"が持つエネルギーを改めて知った。自分も描いてみたい、家に大きな絵を飾りたい、そんな欲望を掻き立てた。

とにかく、私の心は大きく動かされた。帰路について「あー、これが人生だな」と思った。自分の中にあるあらゆる感情は死んではいなかったし、逆にこれらがなければ、自分の人生に豊かさは生まれないのだ。

これは芸術に限らず、本を読むでも旅に出るでも、美味しいものを食べるでも。それが血となり肉となり…というのは本当だと思う。そして、これらを作ってくれているのはどうも自分以外の職業の人。コロナの影響、もとい政府の影響で衰退を余儀なくされることがあってはならない。

自分以外の人が与えてくれるこの世界は、逆説的に自分が存在する理由にもなる。私が今している仕事が、誰かに感動や何かを考えるきっかけ、時間を与えられたとしたら。それはやるべきだろうしやりたい。

「何かをしたい」と思えるそのエネルギーは何事においても素晴らしいと思う。結局、いつものように「よかったね、わたし」というのが落ちなのだけど、本当に嬉しかったのでこの想いは記録した方がいいし、これからも大事にしなさいと肝に銘じて。

2020.6.24.Wed

昔のことだと知っておきながら、

人はなぜ過去に執着してしまうのだろう。

私と出会う前のあの人は、どういう生活を送っていたのだろう。何を考えて、人を好きになって。私のどこが好きなのだろう。

口に出すことはなくても、気になることはたくさんある。それは、出会えたこと以上にこれまでの歳月の、少しでも多くの時間を共に過ごせなかったことを、私自身が悔いているからに違いない。

今出会えただけでも幸せなことなのに。人は欲張りだ。

 

「過ぎた事 選ばんかった道 みな覚めた夢と変わりやせんな」

 

こう物思いにふける夜は、『この世界の片隅に』の台詞を思い出し、この出会いが私と彼にとって最良の選択であればいいと願って眠る。

佐綾とマヤ

 

うっすらと目を開くと全身が眩い光に包まれているのがわかる。同時に頬を撫でるやわらかい風。4月下旬。ようやくここ、北国にまで春がやってきた。ベッドに仰向けの状態から窓の外を眺める。晴天。すがすがしい気持ちにさせる青空と、久しく見ていなかった立体的な白い雲が心を躍らせる。意識がはっきりしてきたところに、隣の部屋からドタバタとこっちに向かってくる足音が聞こえてきた。

「あ。佐綾起きた?」

扉の間からひょっこり顔を覗かせる。栗色の、肩に少しつくくらいの髪がふんわり揺れる。恋人のマヤ。高校時代に結ばれて、卒業と同時に同棲を始めた。マヤとこの地で春を迎えるのは2年目になる。

いつもなら私が先に起きるのに、GW前に仕事をすべて片付けようと少し無理をしたのか疲れが残っていたようだ。先に目覚めたマヤはすっかり身支度も整えている。白のブラウスに白のフレアスカート。羽織っているクリーム色のカーディガンが映えてなんとも春らしい。

「もうお昼になっちゃうよ~」

「そんなに寝てたか・・・ごめん」

「いいよ。佐綾つかれてそうだったし」

ベッドに軽く腰をかけてこちらを見る。しばらく見つめあう私たちの間に、爽やかな風が吹く。日の光は頬の産毛を輝かせる。今日もかわいいかわいい、私のマヤ。近づいてキスをすれば嬉しそうに首をかしげるのだった。

毎日しているキスがこんなにも新鮮なことがあるのだろうか。

 

「GWはじまるね!」

「ああ、やっとだ。もう昼になるけど・・・これからしたいことある?」

身支度を整えながらマヤに聞く。

「んー、天気もいいし、近くの公園でピクニックは?」

「いいね。冷蔵庫にそれっぽい材料あったっけ」

「ないかなぁ・・・。イオン行く?」

「そうしよう」

歩いて10分もしないところにイオンがある。買い物は大体ここで済むのでとても便利だ。最近は知らない間にマヤが電子マネーを導入したようで、率先して会計をしたがる。表情を見ている限り「ワオン!」の音が鳴るのが楽しいようだ。

まず向かったのはパン屋。美味しい食パンがいいと、お店一押しの「もちもちふわりんパン」を買う。フランスパンも欲しいとマヤにねだられ、それも買う。ピクニック定番のサンドウィッチは中身も大切。卵サンドとベーコンレタスに、ジャムパン。この3つは確実に作る。食材が美味しければより美味しくなるのがサンドウィッチ。マヤはそのあたり妥協しない。食べるものにはこだわる。私はその辺何でもいいと思うたちだから、基本的に食卓にはマヤが食べたいものが並ぶ。それでいいと思う。

 「スーパーに二人で行くのって、一緒に住んでる感あるよね」

レジに並んでいるとき、隣でぼそっとつぶやく。住んでる感もなにも、住んでるでしょと言うと「そっか!」と笑う。もう何年同棲しているの?と問いたくなるけど、今朝のキスのことを思い出して、ああ、と納得する。私が毎日この関係を新鮮に感じているように、マヤもそう感じるのだと。少し嬉しくなって笑みがこぼれる。その時を見逃さなかったマヤが驚いた目をしてまた笑う。

 

行った先の公園は桜の開花を待ちわびていた人でにぎわっていた。

 「桜、きれいだね」

「マヤさ、今日の予定、はじめから決めていたんでしょ?楽しみにしてくれていたんだよね。もっと早く起きればよかった」

「ううん!いいの。佐綾は逃げないから・・・」

作ったサンドウィッチが入ったかごを左手に、右手はマヤの左手と繋ぐ。私たちが手をつないで歩く様子に、すれ違うたびに視線を向けられる。会社の知り合いにも何人かあった。でもそんなことは二人にはどうでもいいことだった。

「佐綾みて。桜、ほんときれいだよ」

「見てる見てる。きれいね」

「来年もまた見ようね」

「再来年も、ずっとね」

繋いだ手に力が入る。私たちがこの手を離すことはない。

 

「さ、そろそろ食べよっか」