kiroku

不確かなこと

去年最後の記録

 2016年12月29日

 

実家に帰省したわたしは吉祥寺にむかう。用事ひとつめは雪舟えまのサイン本を買いに。ふたつめは百年に行くこと。

行くとき、中野駅を過ぎると乗客の雰囲気が一気に変わる。車内にあたたかい空気が漂い出す。昼間だったから日差しが入ってあたたかいとか、冬だから暖房が入っててあたたかいとか、そういうこともあるけどそうじゃなくて。

向かいに立つおじいちゃんが子どもに話しかける。子どものお母さんはおじいちゃんに座ってくださいって何度も促すけど、おじいちゃんは何回も遠慮する。隣のおばあちゃんの膝に座り抱かれる子どもは何が起こってるのかわからない顔をしている。おじいちゃんは子どもに話しかける。なんだか楽しそうだなと思う。ここはみんな自然に子どもを愛せるようだった。

 

吉祥寺のパルコは生きている。次々となくなってしまうパルコ。わたしの地元のパルコもついになくなってしまった。その生まれ代りのように、千葉のサグラダファミリアと呼ばれていた駅の工事が終わり、新しくなった。

書店は地下にあった。雪舟えまサイン本、『凍土二人行黒スープ付き』を二冊購入。あとで池袋のジュンク堂に行ったらカバーがかかってなくて、好きなイラスト選べたかもしれないけど、吉祥寺の書店ではカバーがかかっていたから、おみくじみたいな感覚があった。それでも残り二冊だったからもう手に取るのはこの二冊だけだったけども。

百年はわたしが前から行っている古本屋で、久しぶりに行ったら漫画のコーナーがなくなっていて少し残念だった。しかし、相変わらずいい古本屋だと思う。欲しかった本も手に入った。

 

陽は暮れて、夕闇が漂い始めた帰りにいつもの喫茶店に入る。わたしはこの喫茶店ビスコッティの食べ方を知った。コーヒーに浸して食べると食べやすい。今回も頼もうか迷ったけどお腹がすいてたからトーストにした。トーストも美味しい。

茶店の目の前が大きな交差点で、人々が行き交う様子を中から見る。向こうからも店内が見えているはずなのに、意外と人と目が合わない。その中で一人だけ、子どもが店内を凝視していた。その子はすごく注意深く私を見ていた。なんだか私は霊になったみたいで、初めて人間に存在を知ってもらったような、そんな気持ちになった。《今、私のことを見えているのはあなただけ、みつけてくれてありがとう》

その子は誰の子なのか、周りを見ても親らしき人が見つからなかった。交差点の信号が青になった時、その子はすっと向こうへいなくなった。

行き交う人は互いのことを全く気にしていないようで、見えていないのと同じだった。喫茶店内にいる私には見える。目の前の大きな窓ガラスは人間と霊の境界線のように思えた。ガラス一枚でこんなにも隔たれる世界。東京は霊の国なのかもしれないと思った。ボルタンスキー先生曰く少ないらしいけど。

この喫茶店はいろんなものが見える。

 

雪の日の記憶を共有する

 

 

「雪ふってるの、初めてみたんです。しんしんと、静かにふるんです。」

 

「雪は音をすうから。雪の日の夜はいつも以上に静かだよ。わたしはそんな日は決まってソファーに寝転んで、降り続く雪を眺めるの。うちは窓が大きいから、よく見える。外は本当に真っ暗で、寒そうで、でも家の中は暖かいからずっとこうしてられる。そんな時間を過ごすのが好きだった。」

 

「やわらかくて、手にのった瞬間に消えてしまった。」

 

「東京の雪とはちがうでしょう。」

 

「はい」

 

「また見よう。遠い地に思いを馳せて、かけあしで向かって。今度はわたしの家においで。ソファーは二人くらいは余裕だから。」

 

 

 

近所の公民館

 

この日は天気が悪く、でもぎりぎり雨は降っていなくて湿気と、雨が近い匂いがあたりに充満していた。「空間みんなの風景」の製本は公民館の長机で作業された。

作業中、どこか懐かしい感じがしていた。でもこの懐かしさはあまり喜ばしい懐かしさではなく、むしろだんだんお腹がいたくなるようなものだった。

テスト前なのだろう。周りにさまじめに勉強している学生がたくさんいた。大学近くの公民館は勉強するスペースが広く取られている。

お腹がいたくなった原因は、子どもの匂いと、学校の匂いを感じ、昔の記憶を呼び覚まされたからだった。私は図工の時間のことを思い出していた。静かにみんなで絵を描く作業をしなくてはいけない時間。静かなのが嫌なのではなく、学校の圧がそこから感じられたからだった。窮屈だったし、つまらなかった。

小・中学生の頃は学校が嫌いだったという思い出が多い。授業は真面目に聞いていたけど、そうすることが良いと思ってたからしていた。今のような性格になったのは自己防衛本能がこの時期に格段上がったからで、生きよう生きようと試行錯誤していたわたしは、逆に自分を守らなければ死んでしまいそうなぎりぎりなところにいたんだなって思うと、たまに昔の自分に「おまえはおまえのままで大丈夫だよ」とか声かけてあげたくなる。

「長く生きてるといいこともあるよ。」って、知り合いから聞いた言葉が好きだなーって思って、事実、悲しいことはあっても、今のところ生きてきてよかったと思えることはたくさんあった。芸大に入ってよかったことは、自分と同じような人たちの集まりだったことで。大人になったら同じ考えの人に出会えるかもしれないし、自分を支えてくれる本も見つかるかもしれないし、昔は何も思わなかったけど、生きるってそういう一瞬に出会うためなのか、とか今は思ったりする。