kiroku

不確かなこと

都市伝説

 
好きだったのか好きじゃなかったのか、そんな人とお茶した帰り道の話。
昔からあるパン屋さんの前を通りすぎた時、
 
「ここのパン食べたら次の日お腹壊すっていう都市伝説があったの知ってる?」
 
とその人が言った。
小学生の頃から知ってるパン屋なのに、私はその話を全く知らなくてびっくりした。お店からしたらすごく迷惑な噂だけど、今聞くとちょっとおもしろい。その都市伝説はいつからあるのか。いつからあるのか聞いておけば良かったなーと思ったけど、そのパン屋はケーキも売っていて、私の家族はよくそこのケーキを食べていた。ケーキだったからお腹壊さなかったのかな、ってその人に言ったら、その後なんて返事返って来たかは覚えてないけど、多分、そうかもね、とかそんな返事だったかもしれない。
今日そのお店の近くを歩いた時にふと思い出して、弟の誕生日にケーキを買った。「幸せモンブラン」。400円のところ時間が遅かったからか、300円にしてくれた。帰ったら早速弟にあげてみる。ただ、買ったのがまたケーキだから都市伝説が嘘か本当かはわからない。
 
その人は昔にあったことだと言った。私たちが小学生くらいに生まれた噂なのだろう。その言葉の後、「でも今は消滅してしまったよな」と続きそうなところに切なさを感じたけど、でもその人が話してくれたことで、私の中で生きるし、私が誰かに話したらまた生きる。
 
都市伝説は蘇る。
 
そういう会話をしたことを覚えていたことが、なんだかとても嬉しかった。

吉増剛造展

 
 
めちゃめちゃ暑い日だった。
東京は沖縄に比べて涼しいと思ったけど、ビルのせいかな…すごく暑い。
 
吉増剛造展に行った。
展示室が迷路みたいに順序が複雑で入った一瞬迷子だった。
中ではどこかから音声が流れていて、黒い薄いカーテンがゆらゆら揺れていて、漂うように展示を眺める。
吉増剛造は色々な人から影響を受けてた。ジョンケージのドローイングとか、中上健次の原稿とかあって、中上健次の原稿の字がすごく丸くてびっしりで、それを保ち続ける精神みたいなのに感動した。それは吉増剛造もだけど、同じ書体を保つのってすごい作業だと自分は思う。音楽でいうとロングトーンでの音色、音の中身を均一にし続ける感じ。
 
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「怪物君」という詩集を本人が詠んだ声が見本誌の隣で流れていてびっくりした。
文字を見て、声を聴いて、これは音楽だと思った。
詩に描かれている字の横に「、」がついている字があったりして、それは音楽でいうアクセントだった。それが一文に何度か現れることによってリズムが生まれ、そのリズムというのは不規則であって、まるで変拍子のような、そこで私はジョンケージを想像した。
すごく言葉は自由だった。
音楽って、そういうことなのかなと思った。区切るところによっては別な言葉が生まれるし、その言葉に意味などなかったりもして、でも逆にいえば区切り方を間違えると作者の意図に反してしまうかもしれない。
 
自由に読んだらよくない?って思うこともある。人それぞれだし。でもそうしていい時とよくない時がある。今まで自分はクラシック音楽はルールから外れちゃいけないんだと思っていた。でもそれはただ自分を苦しめるだけだったし、気づいたのは、それ以外のことをすると変なのだ。「しちゃいけない」んじゃなくて、より自然に良い形にするために「しない」だけだった。けど初めからしないのではなくて、してみて、初めて違和感を感じるのだ。
クラシックって堅いなー、みたいなこと思ってたけど、思っている以上に「これ以上したら変」の域が広い。
如何にぎりぎりまで攻められるか。そこに同じ曲を演奏しても他の人には生まれない、その人個人の何かが生まれる。
 
 
めっちゃ当たり前のことを書いたのかもしれないけど、よかったね、わたし。
 

灯台へ



灯台へ


第一部「窓」

p.38~
遠くの砂丘を眺めやりながら、ウィリアム・バンクスは昔のラムジーのことを思い出していた。 ……  一群れのひよこをかばうように羽根を広げた雌鶏の姿がラムジーの目にはいったからで、彼はそれをスティッキで指しながら「いいねーーいいね」と言ったのだ。その他愛ない言葉は、ラムジーの中の素朴さや、小さな存在への思いやりを、奇妙なほどはっきり照らし出す力を持っていた。と同時にバンクスにとって、二人の友情は、あの田舎道のあの場所で終わりを告げたように思われた。ラムジーが結婚したのは、その後まもなくのことだった。それからあれやこれやがあって、互いの友情は何か気が抜けたような味気ないものに変わってしまった。どちらが悪いわけでもなく、いつの間にか二人の付き合いの中で   ……  しかし今こうして遠い砂丘と沈黙の対話を続けていると、バンクスには、自らのラムジーに対する愛情にはいささかの翳りもなく、たとえば百年もの間泥炭(ビート)層に守られて、唇の赤さを残したまま地中に眠る若者の遺骸にも似て、彼の友を思う気持ちは、鋭くみずみずしいまま入江の向こうの砂山の陰に静かに横たわっているようにも感じられた。        バンクスは、この気持ちをリリーにわかってもらいたかった。 ……  二人の関係がどんなものだったか、わかってほしいんです。本当に長いつき合いですが、ウェストモアランドの田舎道で、ひよこの前に羽根を広げた母鶏を見かけて以来、妙に気持ちがそぐわなくなりました。その後ラムジーは結婚し、それぞれ別の道を歩むようになって、会っても新鮮さはなくなったんですが、それはどちらかの所為という問題ではないはずです。


「どちらの所為でもない」というところがグッときて、その時起きてしまった出来事と時間が二人を自然と裂いてしまうことの人生の中での多さよ、、と自分の人生の中でも感じる。でも彼の愛は無かったことにはならないのを彼自身が感じてるところがいいな。